若者のPC離れ
こんにちは。筑紫野市、小郡市のパソコンスクール庚壬塾の金丸です。
最近、「スマホ世代のPC離れ」が深刻な問題、と書かれた記事を読みましたが、実はもう2年も前に、同様の警鐘を鳴らしていた記事があります。
これを読むと、社会に出た若い人が、仕事の現場でパソコンが使えなくて困る、というだけの単純な問題ではないことがわかります。
確かに年齢を問わず、「スマホがあるからパソコンはいらない」と言われる方は増えてこられた気がします。
多くの人にとって、ネットで情報を検索し、情報を手に入れること、SNSで誰かとつながること、が最も重要なことで、パソコンの用途はそれ以外に使用する必要性を感じない、ということでしょうか。
しかし、「書く」という作業は、実はとても大切で、人は文字を書くことで自分の考えを整理し、思考を明確にすることができます。その作業を繰り返して、考えは深まり、また新たな角度からものごとを見つめなおしたりすることもできるようになります。
書いて、考えを深め、そして何かを生み出す側に立つか、それとも、情報を閲覧し、収集し、消費する側に立つか。
これから、人生を切り開いていく若い方には、ぜひ、「生み出す側」に立ってほしい、と思うのは、私だけではないと思います。
「読書は充実した人間をつくり、会話は機転の利く人間をつくり、書くことは正確な人間を作る」
「知は力なり」で有名なイギリスの哲学者、フランシス・ベーコンの言葉です。
「正確な人」のとらえ方はいろいろあると思いますが、単純に、「ミスを犯さない人」ということではなくて(そういう人にもなれるかもしれませんが)自分が何を思い、何を大切にし、どんな生き方をしたいと思っているのか、そういう人生観のようなものを確実に持っている人、というような意味ではないかと私は考えています。
パソコンがないから、と家では鉛筆をもって「書く」時間を確保されているかというと、おそらく、そんなことはなくて、「書く」時間そのものが少なくなっているのではないかと予想します。
長文のメールを何度も推敲して書き直したり、フェイスブックに考えをまとめて投稿する、などの作業を繰り返すことはとても自分を見つめることにつながっているような気がするのです。スタンプ一個を返すだけでその場のコミュニケーションは事足りるかもしれないけれど、やはり、大事なときには、きちんとしたメールを書いてほしい。
私は別にパソコンのメーカーの回し者ではありませんが(笑)、ぜひ、パソコンを使って、「書く」ことに、もっともっと、たくさんの時間を使ってほしいと思っています。特に若い人には。
パソコンスクール庚壬塾ではタブレット講座も6クラス開設されていて、人気も徐々に高まっています。
よその教室ではどうかわかりませんが、うちの教室では、パソコンの講座とのセットになっています。
というのは、この講座自体が、スマホやタブレットを使いこなすことだけを目的にしておらず、パソコンと連携してネットを楽しく活用しよう、という講座で、随所に、パソコンを使用する内容を取り入れているからです。
受講されているのは主にシニアの皆さんですが、皆さん、ワードやエクセルをパソコンの授業で練習され、この講座でスマホの写真を取り込んでアルバムをじっくり作りこんだり、ホームページに掲載したり、という活用をされています。
社会はどんどん便利になります。パソコンが誕生したころは、「鉛筆でものを書かなくなった」ことがちょっとした危機感をもって語られ、今は、スマホ、タブレットの普及で、「ものを書かなくなった」ことが危機的問題として語られています。
次にくる危機はどんなものになるでしょうか。AI(人工知能)の発達で「人間が考えなくなった」ことが問題だ、として語られることがないようにしないといけませんね。
写真は、この1年の間に数回実施している写真アルバム、TOLOTの講座の一風景です。ご自分のスマホからパソコンに写真を取り込もうとされているところです。