67回目の原爆の日
今日は長崎の「原爆の日」でした。
もう67回目を迎えました。
この日を特別な日として教育を受けた元長崎県民の使命として、何か少しでも、この日を忘れないでいて、と一人でも多くの人に伝える役割があるような気がして、ブログに向かっています。
今年は、平和祈念式典に、原爆の投下を命じたトルーマン大統領のお孫さんも参列され、「被爆者から聞いたことを本にまとめたい。オバマ大統領にも手紙を書き、核のない世界を望むメッセージを届けたい」と、核廃絶への思いを共有して下さったとのこと。
また、ルース駐日米大使ほか、英、仏の核保有3カ国大使も初参列されたました。
時間はあの日から確実に流れ、そしてまた、広島や長崎の祈りも世界に届き、少しずつ、少しずつ、広がりつつあるのだと信じます。
もう、ずいぶん前、何年か前のことですが、Yahooかどこかで、原爆の日のニュースに、コメントがつけられていて、ある人が書かれたコメントにとても深く感じるものがありました。
「広島、長崎の人々は、いつまでも誰が悪かったとか、恨みや憎しみを言い続けているのではない。ただ、世界中の人に、核兵器によって引き起こされた悲劇を知ってほしい、そしてその痛みに共感してほしい、と思っているのだ」と、そういう意味のことが書かれていました。
この方が被爆された方かその関係者であるかどうかは定かではありませんが、私自身は、とても深くうなずきながらコメントを読ませていただきました。
機会あるごとに、私も訴えていきたいと思います。
「長崎を、最後の被爆地に」ノー・モア・長崎、ピース フロム 長崎
考えてみれば、世界で唯一、放射能の怖さを思い知らされた国が、平和な時代になって何年も経ってから、また、放射能の被害で悩まされ続けている現実はなんとも皮肉なものです。
核兵器のみならず、平和利用としての原子力エネルギーの在り方でも、今、人類はとても重要な選択を迫られているのかもしれません。
ちなみに、長崎市の、平成24年平和宣言文 全文は以下にあります。
http://www1.city.nagasaki.nagasaki.jp/peace/japanese/appeal/