65回目の原爆の日
長崎は、今日、65回目の原爆の日を迎えました。
65年前に長崎に原爆が投下された時刻、午前11時2分は、教室でちょうど1コマめの授業が終わったばかりの時間でした。この地域ではこの時間、サイレンがなりました。
みなさん、少しの間、手を止めて、静かに黙とうをされました。
実は、私、長崎県の出身(市内じゃないけど)なので、幼いころからこの日に関しては特別な思いがあります。両親が戦争末期の時期に、長崎市内で青春時代を過ごしていたこともあって、さまざまな体験談を聞かされて育ちました。
父も母も、同窓会名簿の名前の多くに、「原爆死」の記載があります。
私は高校卒業後、東京で学生生活を送りましたが、今でも忘れられない場面があります、
学食で友人と昼ごはんを食べているときでした。広島と長崎の原爆の日の話題になったときに、ある友人がこう言いました。
「よく覚えてないね~。どっちが先だっけ。正直、同じ日本のことだけど遠い話なんだよね~。」
あんなに恐ろしい原爆のことだから、日本全国の人に、その悲惨さも恐怖も伝わっているものとばかり思っていた私は、愕然としました。
もっと伝えていかなければ、そう強く思ったことを思い出します。
今年は、世界の中でも、核廃絶への歩みが一歩、進みはじめています。5日には、国連事務総長の潘基文氏も長崎を訪れ、被爆者の声にも真剣に耳を傾けて下さいました。
長崎の祈りが少しずつ、世界中の人の心を動かし始めたのでしょうか。
願いはただ一つ。長崎を最後の被爆地に。
ノーモア・長崎!