立春
今日は立春。
「春」という言葉を聞くと、なんだか心が浮き立つような気になります。
身も切れそうな冷たい風が吹いてはいても、「もうすぐ暖かい春がやってくる」という期待感は、そのまま、自分の人生にも、もうすぐ希望の春がやってくる、と思わせてくれるからでしょうか。
教室には、人生の大先輩の方がたもたくさん来て下さっていますが、(実際にはそちらの方が多いかも)この春からの、就職や転職が決まられている若い方も多くお越しになっています。皆さん、これから自分が働くのはどんな環境だろうか、と期待半分、ちょっぴりの不安の入り混じった複雑な気持ちでおられるようです。
自分も、卒業して就職したばかりの頃、やっぱりとても不安だったかなぁ、と少し思いだしました。
私の就職先は高校の教壇に立ったのが最初ですが、学生時代から長いこと夢見て、憧れていた職業でしたので、「なりたくて、なりたくて」就いたという感じで、わくわくしていて、不安より、期待のほうが大きかったと思います。
ただ、期待が大きすぎて、いろいろな現実に直面すると、自分の力量とのギャップに悩んだことの方が多かったと思いますが。
若い方に、何かアドバイスができるほど、私は立派な仕事をしてきたわけではないのですが、一つだけ言えることがあります。
最初から、何もかもうまくいく仕事なんてない、っていうこと。
今、自分が持っている力量だけで、仕事がうまくいかないからと、「この仕事は自分に向かない」とあきらめるのは早すぎるっていうこと。
あなたを、一人前の職業人にしようと、厳しく叱り、時にはアドバイスをしたり、さまざまな手を尽くしている先輩や上司の思いに気づき、会社が自分を育てるためにどれだけの経費とエネルギーを使ってくれているか、そのことに気づくことができたら、きっと、会社に貢献できる人材になれるはずです。
私自身が、そのことに若いころ気づいていたか、といえば、残念ながら、実はそうではありませんでした。
だからこそ、若い人には、私みたいに人生を無駄に過ごしてほしくないのです。
自信というのは、現在自分に何ができるか、ということではなくて、壁にぶつかったときに、そこから逃げずに、自分自身が動いている、努力している、少しずつ進歩している、その充実感が「自信」になるのではないか、と私は思います。
ただ、間違えてはいけないのは、「壁にぶつかって悩んだ数」がいくらたくさんあっても、それだけでは自信にならないんです。
悩んで、どう動いたか、その行動した数、壁に向かってアプローチした数が多ければ、それが自信の強さになるのではないかと思います。たとえ、その行動がすべて失敗に終わっても。
いくつもの失敗を乗り越えて、自分に後輩ができるようになった頃には、おそらく、その後輩にも、いろいろなアドバイスができるようになっていることと思います。そのときに「自信」がついていることに気が付くでしょう。逃げずに進歩しつづけてきたからですよね。
しかし、若い人が、とてもまじめにうなずきながら聞いて下さるのがうれしくてついつい、こんなお説教というか、教訓めいたことを話してしまうこと自体、私も、けっこう年をとってしまった証拠ですね。いやだなぁ(笑)
なにはともあれ、春です。
新しい道を行く人の前途に幸多かれとお祈りいたします。