練習とは、簡単だと思えるようになるまで繰り返すこと
木枯らしの吹きはじめる、この季節に、花屋の店先を通ると、その特有のにおいに、なつかしさがこみあげてくることがあります。いろいろな花の甘い香りと葉っぱの青くささの混じったような・・・。
実は学生時代、私は、ある音楽系のサークルに属していて、フルートを吹いていました。5月と11月の、年に2回の定期演奏会のために、授業そっちのけで(!)、毎日練習のために部室に通ったものです。
花屋さんのなつかしいにおいは、その演奏会のたびに、楽屋に届く花束のにおいです。80人ほどいた部員の全員にいろいろな人からの花束が届くので、楽屋全体が甘い香りに包まれ、独特の雰囲気になります。
思い出すのは、初舞台の定期演奏会を控えた頃のこと。ちょうど、11月初旬の、今頃の時期でした。
全体で合わせる練習をしているときに、指揮者の厳しい叱責が飛びました。
「フルート!そこ、吹けないんだったら、もう音出さないで!!!」
弦楽器の繊細な音色は、私のミスを隠してくれませんでした。
みんなの前で叱られ、私は顔から火が出そうなくらい、恥ずかしく情けない思いをしていました。不器用な私は、テンポの速い曲では指が上手にまわらず、ゆっくりしたフレーズでは、音程がふらついて、みんなに迷惑をかけていたのです。どうして自分はこんなに下手なんだろう、と才能のなさをひとり嘆いてもいました。
合奏後、そんな私に、「ちょっと来て」と先輩が言います。彼女はいつもはとても楽しくて優しい方でしたが、その時、彼女は真顔で私に向き合って座り、メトロノームを、通常より少しゆっくりめの、一定の速さにセットすると、私に、例の指がまわらないフレーズを吹くように促しました。
一生懸命、吹いて、先輩の顔をみました。表情は変わりません。・・・「はい、もう一回」。もう一度吹いて、楽器をおろします。・・・「はい、もう一回」、また、吹いて、楽器をおろします。「はい、もう一回」
それから、何度、「はい、もう一回」の言葉を聞いたでしょうか。メトロノームの速度は少しずつ速くセットされ、こちらもだんだん、意地になって、吹いていたかもしれません。
しかし、最後のあたりでは、もう、以前の自分の、もたもたした指使いがうそのように、指はなめらかに、相当のスピードで、そのフレーズを演奏できるようになっていました。不思議と、もう、そのフレーズを特別難しい個所だとも思わなくなっていました。
小一時間も、吹き続けたでしょうか。ほぼ、100パーセントの確率で、失敗しないで演奏できるようになったときに、はじめて、先輩から、「はい、よし!」の声がかかりました。
「練習ってね、こんな風にやるのよ」
一言、笑いながらそう言って立ち去る先輩に、私は感謝の気持ちと、自分が情けなくて恥ずかしかったのと、で、、「ありがとうございました」と頭を下げるのがやっとでした。
小さい頃習っていたピアノや、そろばんがちっとも上達しなかった理由が、そのときやっとわかりました。
それから、毎日、一人で壁に向かって自分の音を聞きながら、何度も同じフレーズを繰り返し、繰り返し練習しました。ゆっくりからはじめて、少しずつ速いスピードにしていくことも練習しました。
そして、迎えた本番。先輩のレッスンのおかげで、演奏会で皆に迷惑をかけることもなく、無事に初舞台を終えることができました。
演奏終了後、受付に届いた花束は本人に手渡されます。
驚いたことに、まだ1年生だった私にもいくつか、届いた花束がありました。
なんと、そのひとつは、あの先輩からの花束でした。メッセージカードには、「頑張ったね。デビュー、おめでとう」
「うれしくて泣く」ということを初めて経験したときでした。
それから4年間、卒論の提出間際まで、私はそのサークルでフルートを吹いていました。教えてくれた上級生も卒業して、自分が上級生になるころには、指揮者から叱られることも少なくなり、ときには、ソロのフレーズを任されたりもするようになりました。
あのとき、「練習」のやり方を教えてくれたあの先輩のおかげです。
「練習」とは、「簡単だと思えるようになるまで繰り返すこと」
パソコンは、簡単に、できるようになることもたくさんありますが、達成したい目的によっては、やはり少し難しいところを通らなければいけないときがあります。つまり、「練習」が必要なときがあるのです。
今、教室で、特に資格取得のために勉強されている皆さんや、仕事で活用しなければならない、とお越しになっている方に対して、私はときどき、練習問題の操作を元に戻して、繰り返していただくことがあります。
「はい、もう一回」、「はい、もう一回」、元に戻す、を何度も繰り返して、操作練習をしていただいているときに、学生時代のあの練習風景を思い出すことがあります。さすがに、にこりともせず、真顔で、というわけではありませんが・・・(笑)
それでも、お客様が苦手なことを強いているのですから、お客様のつらそうな表情に胸が痛むこともあります。
しかし、頭でどれだけ理解されていても、何度も繰り返して、指がなじみ、自然にその数式がすらすらと入力できるようになるまで、繰り返さなければ、本当の理解にはつながりません。
そして、そのように苦労して、何度も繰り返して練習された方には必ず、「合格」という大きな花束が待っていることを私は確信しているので、隣でお客様を励ましつつ、「元に戻す」ボタンを押しています。
初舞台の会場は、「日本青年館」の大きなホール。そのときのエンディングには、フルートの8小節のソロがありました。その先輩のフルートの、艶やかな音色が、静かな会場全体に響きわたったときのあの感動を、私は今も鮮やかに思い出します。それから卒業するまで、あの美しい音色はずっと私の目標でした。
そしてその音色は、「練習」によって、生まれたものであることを、私は教えてもらったのでした。
今も覚えています。あのときの花束は、やさしくて 可憐な、デンファレの花束でした。
今でも、私の大好きな花です。